衆院選
ある人が興味深いことをつぶやいていたので、ちょっとだけ記事を書こうと思いました。記事というよりもその人への手紙みたいなものかもしれません。
あっ、その前に、前の記事の映画はあっと言う間に配信が終わってしまったようです。残念。
さて、話を戻して、今回の選挙は与党の圧勝と言われています。戦後、ほんの短期間を除けば、いつも自民党が与党で、今、私たちが暮らしている日本の土台を作り上げたのは自民党です。たまたま民主党が政権をとった時に大震災が起きて、そして原発事故が起きました。当時野党であった自民党は鬼の首をとったかのように民主党の対応の拙さを批判しましたが、いつも思うのは、もしあの時自民党政権であったならば、情報はもっと隠蔽されたのではないかということです。『吉田調書』には当時の菅総理は瞬間湯沸かし器のように東電に対して激昂し、むしろ作業の邪魔であったと書かれています。おそらくそれは事実でしょうが、自民党の総裁が総理であったならば、原発の爆発や放射能汚染の情報をいかに隠すかに腐心したことでしょう。そして、そもそも原発を日本中に建てるきっかけを作り、それを促進し、天災が起きた時に危険であるという忠告があったにもかかわらず、それを封殺してきたのは自民党です。
でも、大勢の人々はそんなことを忘れているか、忘れているふりをしているか、あるいは考えることさえしていません。自分の利益のため、家族や組織に言われたから、という理由で自民党に投票をするわけです。自民党は戦後何十年も政権をとってきたわけですから、様々な組織と金が絡むしがらみがあるわけです。
私と同じ選挙区の人のつぶやきはまさに思考停止であるかのように感じられました。その人は原発を作っている大企業の社員なのですが、ひたすら民主党の候補に悪態をついているのです。演説が通行の邪魔だ、わがままなんだよと。また、別の日本大好きを名乗る人は、民主党候補の選挙カーに対してのみうるさいとつぶやくわけです。邪魔ならば本人もしくは関係者に言えばいい、選挙カーがうるさいならば(私が聞く限り、どの候補者も音量に変わりはありませんでした)、選挙事務所に伝えればいい。選挙事務所に届く市民の声は、応援や要望だけでなくて、そのような文句も多いものなのですから。
このようにして彼らは多数派になって安穏と暮らしていくわけです。そして、いつもの話になるわけですが、民主主義を多数決の原理と勘違いして、少数を排除しようとするわけです。
えっと、それで何を言いたかったでしょうか、私は。
そうだ、そうだ。家庭内で選挙の話ができるのは(あの人に投票しておいてくれ、ではなくて)幸せだと思います。意見が食い違おうとも。説得をしようとすることもすばらしいと思います。ただ、自分が説得したい相手が最終的にどのような理由で投票をする人を決めようが、それを認めることが民主主義だと思います。
メディアに、今回の選挙は「大義なき」という枕詞がよくついていました。いつか、あの時の選挙で与党を圧勝させてしまったことが間違っていた…と後悔することになる可能性が高い気がします(特定秘密法成立のように。原発再稼働だけでなく)。その時に「だから言ったでしょ。私は彼らを選ばなかったんだから!」と言わずに、多数派の人々と粛々と(いや、むしろ多数派で逃げる人が多いかもしれません)その責めを負う、それが民主主義ではないかと思うわけです。
生まれてからずっと少数派であり続けてきましたので、諦観が身に付いているだけなのかもしれませんが。
とりとめもない文章となりましたが、怒りは原動力にすべきものだと思います。
集団的自衛権、特定秘密法、そしてこの衆院選挙。2014年は日本の大きな転換点として記憶されていくことでしょう。
あっ、その前に、前の記事の映画はあっと言う間に配信が終わってしまったようです。残念。
さて、話を戻して、今回の選挙は与党の圧勝と言われています。戦後、ほんの短期間を除けば、いつも自民党が与党で、今、私たちが暮らしている日本の土台を作り上げたのは自民党です。たまたま民主党が政権をとった時に大震災が起きて、そして原発事故が起きました。当時野党であった自民党は鬼の首をとったかのように民主党の対応の拙さを批判しましたが、いつも思うのは、もしあの時自民党政権であったならば、情報はもっと隠蔽されたのではないかということです。『吉田調書』には当時の菅総理は瞬間湯沸かし器のように東電に対して激昂し、むしろ作業の邪魔であったと書かれています。おそらくそれは事実でしょうが、自民党の総裁が総理であったならば、原発の爆発や放射能汚染の情報をいかに隠すかに腐心したことでしょう。そして、そもそも原発を日本中に建てるきっかけを作り、それを促進し、天災が起きた時に危険であるという忠告があったにもかかわらず、それを封殺してきたのは自民党です。
でも、大勢の人々はそんなことを忘れているか、忘れているふりをしているか、あるいは考えることさえしていません。自分の利益のため、家族や組織に言われたから、という理由で自民党に投票をするわけです。自民党は戦後何十年も政権をとってきたわけですから、様々な組織と金が絡むしがらみがあるわけです。
私と同じ選挙区の人のつぶやきはまさに思考停止であるかのように感じられました。その人は原発を作っている大企業の社員なのですが、ひたすら民主党の候補に悪態をついているのです。演説が通行の邪魔だ、わがままなんだよと。また、別の日本大好きを名乗る人は、民主党候補の選挙カーに対してのみうるさいとつぶやくわけです。邪魔ならば本人もしくは関係者に言えばいい、選挙カーがうるさいならば(私が聞く限り、どの候補者も音量に変わりはありませんでした)、選挙事務所に伝えればいい。選挙事務所に届く市民の声は、応援や要望だけでなくて、そのような文句も多いものなのですから。
このようにして彼らは多数派になって安穏と暮らしていくわけです。そして、いつもの話になるわけですが、民主主義を多数決の原理と勘違いして、少数を排除しようとするわけです。
えっと、それで何を言いたかったでしょうか、私は。
そうだ、そうだ。家庭内で選挙の話ができるのは(あの人に投票しておいてくれ、ではなくて)幸せだと思います。意見が食い違おうとも。説得をしようとすることもすばらしいと思います。ただ、自分が説得したい相手が最終的にどのような理由で投票をする人を決めようが、それを認めることが民主主義だと思います。
メディアに、今回の選挙は「大義なき」という枕詞がよくついていました。いつか、あの時の選挙で与党を圧勝させてしまったことが間違っていた…と後悔することになる可能性が高い気がします(特定秘密法成立のように。原発再稼働だけでなく)。その時に「だから言ったでしょ。私は彼らを選ばなかったんだから!」と言わずに、多数派の人々と粛々と(いや、むしろ多数派で逃げる人が多いかもしれません)その責めを負う、それが民主主義ではないかと思うわけです。
生まれてからずっと少数派であり続けてきましたので、諦観が身に付いているだけなのかもしれませんが。
とりとめもない文章となりましたが、怒りは原動力にすべきものだと思います。
集団的自衛権、特定秘密法、そしてこの衆院選挙。2014年は日本の大きな転換点として記憶されていくことでしょう。
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