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ハンナ・アーレント

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なかなか観に行くことのできなかったこの映画。上映期間も終わりに近づいた時に、ようやく行くことができた。

今回は観られなかったけれど、いつかDVDになったら借りよう/買おうと思っていらっしゃる方は、この記事にはネタバレと思える部分もあるかと思いますので、そのおつもりで読み進めていただけると幸いです。



***********


思想家ハンナ・アーレントがニューヨーカー誌に掲載した、アイヒマン裁判に関する記事をとりまく一連のできごとを描いた映画。

この映画にはいくつかのキーワードがあったように思う。

アイデンティティ、愛、思考、そして凡庸な悪*。

*the banality of evil:本来は「悪の凡庸さ/陳腐さ」となるのですが、映画での訳に従って「凡庸な悪」としました。

どれを中心だと思って観ても、この映画は非常に興味深い。

ユダヤ人としてナチスに追われた経験をもつハンナのアイデンティティが「ユダヤ人」であるのは当然なのだが、同じように「ナチスに苦しめられたユダヤ人」というアイデンティティを持つ他の友人や同僚とは、ニューヨーカーの記事がきっかけで訣別せざるを得なくなる。もちろん彼女が望んだことではなく、彼らが彼女から離れていく。彼らには「ユダヤ人」であるハンナがアイヒマンをあたかも擁護するような記事を書いたことが許せなかったのだ。なぜならば、自分たちを苦しめた人間(たち)が「凡庸な悪」であってはならなかったからだ。つまり、何百万もの人間を虐殺した人間は「悪の権化」「凶悪な犯罪者(たち)」でなければならなかったのだろう。それを「凡庸な悪」と表現し、アイヒマンを凶悪な犯罪者ではなく、単なる小心者の役人だと看破したハンナは、ナチスの残党に償わせるべき悲惨な過去を持つユダヤ人たちの激しい怒りを買ったのである。

自分(たち)を苦しめる人間は「悪」でなければならない。それは、自分たちが「善」だという前提に立っているからであり、また善である自分たちに危害を加える「悪」に対する復讐を正当化するためだ。「悪」である「あいつ(ら)」が凶悪であればあるほど、応報の大義名分が立ちやすくなる。思い出すのは911の直後のブッシュの声明である。彼はテロリストとの戦いを"a conflict between good and evil"と表現して、アメリカは暗い闇の中に入っていった。

ハンナは言う「私は民族を愛したことはない」と。それはユダヤ人に対する愛がないという意味ではない。「ある民族を愛する」とか「ある国/自分の国を愛する」というのは、民族や国家を一般化してしまうことである。つまりその民族集団や国家集団のひとりひとりの多様性を無視するということである。その豊かさ、多様性を無視して、国や民族を愛するというのは、あまりに偏った/一面的な愛ではないだろうか。民族愛/愛国心というものは、他者や他集団を敵にするための手段になりやすい。世界を味方につけて、目の前にいる敵(アイヒマン)に自分たちが味わった苦悩を思い知らせるために、煽動的な記事を書くこともできたであろう。しかし、真実はそこにはない。ハンナはきわめて観念的な、民族とか国家に対する愛よりも、家族や友人への愛を大切にしていたのであった。

そんなハンナの考えを理解できないユダヤ人たちの中には、彼女から離れていくものあり、また恫喝して記事を撤回させようとするものさえもいた。

ここでもうひとつの凡庸な悪がはっきりと姿を現す。

アイヒマンは自分に課せられた「義務」を遂行していただけの小役人であり、自分に責任はないと主張する。つまり、彼は巨大なナチスという虐殺機械の歯車にすぎず、一介の歯車には巨大な機械を動かすことも止めることもできないという主張である。全体を知らない小さい小さい一部分。自分のしていることがどういう意味を持つのか、どのような影響を与えるのかを知らないし、考えもしない凡庸な悪。そして、その裁判を自分の目で見てもおらず、ハンナがなぜ善である自分に危害を加えた悪を「凡庸な悪」と呼んだかを考えもせずに非難するだけのハンナの友人、同僚、そして一般市民たち。彼らもまたアイヒマンと同じ「凡庸な悪」なのである。

「凡庸な悪」は極めて恐ろしいものだ。前述のポスト911のアメリカがまさに現代の「凡庸な悪」の例である。全体を考えることをしない/できない。従ってモノゴトをきわめて単純化していく。善と悪、文明と野蛮、正と邪、正義の国アメリカとテロリストの国中東地域。この思考停止の凡庸な悪によって、どれだけの「罪のない人」の生命が奪われていったことだろう。愛国心という名のもとで、どれだけ中東地域で一般市民の血が流れていることだろう。

凡庸な悪はどこにでも存在するし、存在しうる。いじめというのも、凶悪な少数の人間によるものだけではなく、大勢の凡庸な悪により成立するものも多いのではないだろうか。自分の小さいな行為がどれほど大きな影響を与える可能性があるか、考えることができないのだ。

私たちの生きている世界は混沌としている。因果関係が直線的ではないから、考えなくてはいけない。原子力発電も秘密保護法もTPPも隣国との関係も国の代表の選び方も、何もかも!


──北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる














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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

特定秘密保護法案

デモをテロと言った国会議員のおっさんがいた。
鳥取出身のボンボンだ。
この法案を強行に通そうとしているおっさんがいる。
山口出身のボンボンだ。
脱官僚と言っておきながら山口のボンボンにすりよったおっさんがいる。
栃木出身のボンボンだ。
ナチスのやり口を学べと言ったおっさんがいる。
福岡出身のボンボンだ。

このボンボンたちに使われて喜んでいるおばはんたちがいる。
官僚の作文を覚えられずしどろもどろの答弁をする某歌手と同じ名前の弁護士と
恥を知れと平然と言い放つが、多分「恥」の意味が分かっていない元歌手(?)だ。

こんな人たちが今の日本を動かしている。

本当にいいの?これでいいの?
左と言われる人たちが日本の将来を憂えて、国民の平和的生存を求め、
右と「自称」する人たちはこのおっさんやおばはんに喝采を送り、
日の丸をぶんぶん振り回して愛国愛国と騒ぐ。あぁ、ねじれだ。

果たしてどちらが愛国なのか。

もう時間がない。
マスコミは自らの首を絞めないように声を上げなければいけないんじゃないか。

今日の午後、真の愛国者たちが参議院の前に集うことだろう。

特定秘密保護法絶対反対!!!!!



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