2011311考

先日2人の幼い子どものいる友人に、2年ぶりに会って、文字通り積もる話をした。
前回彼女に会ったのは震災の前。あの時は彼女の子育ての奮闘っぷりや転職の話を聞いて、いつも固定されて同じ生活を送っている私は、大いに元気を貰ったものだった。
そして、今回。ポスト震災。ポスト311。
震災は終わったけれど、震災後の闘いはあちらこちらで続いている。そして、彼女もまた闘う人であった。
放射能汚染の話題を出すのは、かなりの慎重さと相手の見極めが必要である。高校時代の友人たちには、震災後に会った際、食べ物などどれくらい気をつけているかどうかを尋ねたところ、「あなたはそんなこと気にしてるの?」といとも簡単に却下された。
彼女は闘っていた。そして、原発が爆発した当時のことを振り返って、東京に放射性物質が降り注いだ日に子どもを外で遊ばせていたことを、とても後悔していると言った。
小さい子どもがいるから、情報収集の時間は限られてしまう。そんな中、TVというのが、最も手近な情報源となる。しかし、そのTVの情報は当時錯綜しており、あの聡明な彼女ですら何を信じていいのかわからず、最終的に「直ちに影響はない」等といった言葉にすがりつくことになってしまったらしい。
以前にもこのブログに書いたが、当時の状況が危険だとわかっていた人たちがいた。原発と近接していたこともあり、茨城の某国立大学の研究者たちの多くが家族を避難させていたことは言うまでもないが、政治家、官僚、そして一部のいわゆる大企業には「家から出るな」「できれば西へ避難させろ」といったような内容の通達があったとあとから聞いた。
そのような話をしながら、結局「持つ者と持たざる者」の差であろうかという結論に至った。悲しいことだが。世の中は、どれほど真面目に生きていても、力とカネを持つ一部には結局かなわない。それが単に「カネ=モノ」の問題であるならば、我慢のしようもあるし、また精神的豊かさを求めるといった代替手段もある。しかし、「カネ=力=情報」という図式となり、情報格差が経済格差に起因し、その情報が生命とかかわるとしたら、私たちはどうやって自らの生命を守ればいいのだろう。
放射能に詳しい学者たちの一部は、いまだに「健康被害に関しては『有意』な増加はない」と言う。2013年2月現在で、県民健康管理調査検討委員会によると、と福島の3人の子どもが甲状腺癌と診断され、また7人にその疑いがあるという状況であるにもかかわらず。彼らにとって、この数字は「有意」な増加ではないのだろうか。一般に子どもの甲状腺癌の発症率は100〜200万人に1人であることを書き添えておきたい。
最近、政権が交代してから憲法改正と騒ぐ人たちがまた目立つようになった(増加しているかどうかはわからない)。そして、「自衛軍」を創るんだと息巻いていたりする。政治家たちで憲法改正論を唱え、9条を破棄して自衛軍を創設しようと考えている人たち、そして、世間で同じように騒いでいる人たちは、万が一、日本が戦争に巻き込まれた時に「戦争の指揮はとるかもしれないけれど、自らは安全地帯にいられる」とわかっている人たちがほとんどだ。いつの時代も、貧乏くじをひくのは「持たざる者」そして子ども(若者)なのだ。
原子力発電は、他の発電よりもカネがかかる。しかし、電源三法によって守られている電力会社は、カネがかかる発電の方がもうかるから、原子力発電をやめられない。そしてそのカネをあちらこちらにばらまいて、ますます力を得ていき、マスコミなどを利用して、持たざる者たちを洗脳していく。電気がなくなったらどうするの?日本経済が落ち込むよ、と。原発がなくてもやっていけることが証明されてもなお、日本のトップが原発再開に向けて意欲を見せていることを、私たちが残したツケを払うことになる子どもたちに、あるいは世界にどうやって説明したらいいだろうか。
民主党の政権時代よりも、情報が見えにくくなっている。秘密裡にいろいろなことが進んでいき、私たち国民は「結果」だけを知らされているような印象がある。半世紀以上前に原発を日本中に建設することを決定した自民党が情報の透明性に腐心するわけがない。持つ者政党が、持たざる者のことを考えた政治をするわけがない。
ポスト311はまだ終わらぬ闘いであり、今後数十年で起こる様々な出来事の糸をたぐっていくと、311と原発に行き当たることになるだろう。
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