忘れるために
ますかがみ旧き昔はせつなくて
行き交ふ人に面影をみる
そろそろ新旧交代の季節となりました。
「古い」ものをよい思い出にするためにも、古いものを洗濯/選択して、良き部分だけ残し、それ以外は全て忘れて、「新しい」ものを受け入れていかなければいけませんね。
行き交ふ人に面影をみる
そろそろ新旧交代の季節となりました。
「古い」ものをよい思い出にするためにも、古いものを洗濯/選択して、良き部分だけ残し、それ以外は全て忘れて、「新しい」ものを受け入れていかなければいけませんね。
地球に悪い読書法

もうすぐ2月も終わりです。
今年は『昭和史発掘』を毎月1冊ずつ必ず読もうと決意していたはずなのですが、早くも挫折の予感…。普段、通勤時と就寝時には本を読むのですが、読み初めて数行で爆睡している今日この頃なのです。不思議なことに電車の場合は、自分の降りる駅のちょっと手前で必ず目が覚めます。ところが、就寝時は降りる駅がないもので、煌煌と灯りをつけたまま気付けば朝…^^;。あぁ、電気がもったいない…。環境に悪い…。地球さん、ごめんなさい。
地球に優しくありませんし、もう今年の目標が崩れそうですし、どうしたものでしょうか。職場の人の口癖を借りるならば、「困ったさんだわ~」です。灯りのついた朝を迎える度に反省をするのですが、どうも私は学習しない/できない動物のようです。
どうやったら地球に優しい読書ができるのでしょうか…。タイマー付きのスタンドってあるのでしょうか。
ON/OFF

今日は久しぶりに仕事がoffだったので、人間になりたーいモードをonにして、友人と半日たっぷり遊びました。まずは地元の喫茶店のカレーで腹ごしらえです^^。写真は20種類のスパイス、果実、木の実を使ったそのお店のひよこ豆カレーです。油は極力控えてあるとのことです。御飯はもっちもちの玄米御飯、そしてザワークラウト風のキャベツの漬け物に、ミニサラダ、そしてたっぷりとジャムを添えたヨーグルトのセットを食べました。カレーの辛さに妥協がなく、でも深みのあるそれはそれは美味しいカレーで大満足!!そして、そこでランチにスープカレーがあることを発見!また来なければ。スープカレー、スープカレー。私にとってのアラビアンナイトのようなものです。憧れのスープカレー。こんなに美味しいカレーを出してくれるお店ですから、期待が高まります。
さて、その後は私の家でお茶をして、ひとしきりしゃべったあとに、井の頭公園経由で吉祥寺までお散歩がてら歩きました。あちらこちらから梅のいい香り。梅は香りもいいですし、実も美味しい。なんて素晴らしい木なのでしょう。井の頭公園の梅はもう1週間程で満開でしょう。
そして、古本屋さんでお目当ての本を2冊発見、購入。そしてLonLonの本屋さんと地元の本屋さんも覗いて帰ってきました。
友人のおかげで、楽しい会話をかわし、美味しいものを食べ、春の気配を感じ、そして欲しいものまで見つかり、何と充実した1日だったことでしょうか!!感謝、感謝です。
たっぷり充電できましたので、明日からまた仕事モードをONにしてがんばろうと思います。
夢の1億円
時々宝くじで3億円が当たったら…と夢見ることがあります。
そうしたら、まず、仕事を減らして週休3日か4日にして、家を買って、あのソファを買って、あのステレオセットを買って…それからそれから…。
夢は膨らみます。
けれども、宝くじを買うことはまずありません(笑)。買わなければ当たらないのですが、私はかなりくじ運が悪い方なので、買っても当たらないと思います、多分。。。
小さい頃からくじ運は相当悪いです。欲の皮が突っ張っているからかもしれません^^;。ここまで当たらない方が珍しいのでは…というくらい当たりません。地元の商店街で貰えるのはポケットティッシュー、年賀ハガキで当たるのは切手のみ、とりたかった体育の授業はとれず、久しぶりに当たったと思うと掃除当番だったり…。
まっ、人生なんてこんなものでしょう。
と話の枕がどんどん逸れていっているのですが…
先日友人が「一億円当たったんだよ…」とボソッとつぶやくじゃないですか!
えぇ~っ、宝くじを買ったの?いつ?と矢継ぎ早に質問攻めにする私。
ゴソゴソと鞄の中を探る友人。
そして取り出してきたのがコレ↓。


い、一億円…
じゃなくて、なんだよ~、この巨大なのしいかは~っ(怒)。座布団くらいの大きさなんです。
でも、確かに0が8つついているもんね。一億円だわ。よっちゃん銀行だけどね。わざわざ「お札」って書いてあるし…。よっちゃんはいかを頭にかぶっている。爆笑してしまいました。
で、このよっちゃん銀行の一億円のしいかは日本銀行券でいくらだったのと聞くと、315円という返答。一億円を購入するのに、しっかり消費税をとられたようです(笑)。
一瞬にして一億円が頭の中から消えました。そんなに簡単にお金が手に入る訳ありませんよね。結局友人と二人、ビールを飲みながら、一億円を食べ尽くしました^^。
そうしたら、まず、仕事を減らして週休3日か4日にして、家を買って、あのソファを買って、あのステレオセットを買って…それからそれから…。
夢は膨らみます。
けれども、宝くじを買うことはまずありません(笑)。買わなければ当たらないのですが、私はかなりくじ運が悪い方なので、買っても当たらないと思います、多分。。。
小さい頃からくじ運は相当悪いです。欲の皮が突っ張っているからかもしれません^^;。ここまで当たらない方が珍しいのでは…というくらい当たりません。地元の商店街で貰えるのはポケットティッシュー、年賀ハガキで当たるのは切手のみ、とりたかった体育の授業はとれず、久しぶりに当たったと思うと掃除当番だったり…。
まっ、人生なんてこんなものでしょう。
と話の枕がどんどん逸れていっているのですが…
先日友人が「一億円当たったんだよ…」とボソッとつぶやくじゃないですか!
えぇ~っ、宝くじを買ったの?いつ?と矢継ぎ早に質問攻めにする私。
ゴソゴソと鞄の中を探る友人。
そして取り出してきたのがコレ↓。


い、一億円…
じゃなくて、なんだよ~、この巨大なのしいかは~っ(怒)。座布団くらいの大きさなんです。
でも、確かに0が8つついているもんね。一億円だわ。よっちゃん銀行だけどね。わざわざ「お札」って書いてあるし…。よっちゃんはいかを頭にかぶっている。爆笑してしまいました。
で、このよっちゃん銀行の一億円のしいかは日本銀行券でいくらだったのと聞くと、315円という返答。一億円を購入するのに、しっかり消費税をとられたようです(笑)。
一瞬にして一億円が頭の中から消えました。そんなに簡単にお金が手に入る訳ありませんよね。結局友人と二人、ビールを飲みながら、一億円を食べ尽くしました^^。
オルセー美術館展
先日上野の東京都美術館で開催されているオルセー美術館展に行ってきました。展示作品数は140点で、分類と主たる作品は以下の通りです。
I 親密な時間
ドガ:テレーズ・ドガ
ルノワール:ジュリー・マネ
ラトゥール:自画像
II 特別な場所
ミレー:グレヴィルの教会
マネ:ブーローニュ港の月光
モネ:ルーアン大聖堂
ルドン:ベイルルバードの道
III はるか彼方へ
ボナール:水の戯れ、旅
ゴッホ:アルルのゴッホの寝室
セザンヌ:サント=ヴィクトワール山
ゴーガン:黄色いキリストのある自画像
*このブロックには陶器も展示されている
IV 芸術家の生活
ラトゥール:バティニョールのアトリエ
ルノワール:バジールの肖像
マネ:すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ
ドガ:エドゥアール・マネの肖像
ドニ:ドガとモデル
V 幻想の世界へ
モロー:ガラテア
ルドン:2つの球体の間に座る男
ガラ:未来の宗教のための神殿
ラコンブ:ベッドの木枠
ジャン・カリエス:カエルもどき
この展示会で、好きな作品、あまり好きでない作品、印象に残るもの、残らないものなどいろいろとあったのですが、個人的に、一点一点の絵画というよりも全体の感想として強く心に感じたことが一つありました。
それは、印象派の作品の中に多い「水」と「光」についてです。
印象派の絵画を多く見ることで、『方丈記』の「行く河の流れは絶えずしてまたもとの水にあらず」という言葉が、深みをもって迫ってきたのです。これまでは「もとの水にあらず」に重点をおいて考え、水を自分の身に置き換えて「なぜ人は死ぬのか」と、無常の世を、そして人の生のはかなさを歎いていたわけですが、そこに「河」があってそれは変わらないという視点に欠けていたのです。水が流れるのは、そこに「河」があるからなのです。もちろん、自分の死に対する漠然とした不安や恐怖はなくなることがありません。とりわけ自分に残された時間がどれ程あるのかと考えると、生をあせる気持ちが私の中で膨らんで、却って身動きがとれなくなってしまい、悪循環を生み出すこともしばしばあります。しかし、厳然とした事実として「河」はここにあるのです。「現在」を生きる私の目の前に。目の前というよりも、むしろ私自身が「河」であり、「河」が私といった方がいいかもしれません。「河」と私との合一という観念をもつことで、個体の死は最終到達点ではなくなります。私の生は脈々とつながっていき、無数の「現在」を重ねていき、この宇宙船地球号の生命が続く限り、「私」は「河」として生き続けることになるのです。
森鴎外は『青年』の中で以下のように書いています。
─現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
そこで己は何をしている。
線とは観念的なもので、幅がありません。現在という幅のない「線上」で懸命に私たちは生きているのです。その線を捉えようとしたのが印象派の作品なのです。「一瞬」とか「刹那」よりも短い「今」を捉えようとしたわけです。ですから、その作品には過去も未来もありません。その線上で自分が見たり、感じたりしたものを表現しているのです。
かつて、生とは螺旋であり、循環的なものであると考えたこともありましたが、印象派の画家たちの描く「水」や「光」を見て、このようなことを考えたのでした。
また、時間があれば、もう一度観に行きたいと思っています。
個々の作品に関して述べると、「ルーアン大聖堂」がやはり私の中で最も印象に残り、またずっと眺めていたい作品でした。そして、様々な時間のルーアン大聖堂を描いた作品を観たいと思いました。

I 親密な時間
ドガ:テレーズ・ドガ
ルノワール:ジュリー・マネ
ラトゥール:自画像
II 特別な場所
ミレー:グレヴィルの教会
マネ:ブーローニュ港の月光
モネ:ルーアン大聖堂
ルドン:ベイルルバードの道
III はるか彼方へ
ボナール:水の戯れ、旅
ゴッホ:アルルのゴッホの寝室
セザンヌ:サント=ヴィクトワール山
ゴーガン:黄色いキリストのある自画像
*このブロックには陶器も展示されている
IV 芸術家の生活
ラトゥール:バティニョールのアトリエ
ルノワール:バジールの肖像
マネ:すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ
ドガ:エドゥアール・マネの肖像
ドニ:ドガとモデル
V 幻想の世界へ
モロー:ガラテア
ルドン:2つの球体の間に座る男
ガラ:未来の宗教のための神殿
ラコンブ:ベッドの木枠
ジャン・カリエス:カエルもどき
この展示会で、好きな作品、あまり好きでない作品、印象に残るもの、残らないものなどいろいろとあったのですが、個人的に、一点一点の絵画というよりも全体の感想として強く心に感じたことが一つありました。
それは、印象派の作品の中に多い「水」と「光」についてです。
印象派の絵画を多く見ることで、『方丈記』の「行く河の流れは絶えずしてまたもとの水にあらず」という言葉が、深みをもって迫ってきたのです。これまでは「もとの水にあらず」に重点をおいて考え、水を自分の身に置き換えて「なぜ人は死ぬのか」と、無常の世を、そして人の生のはかなさを歎いていたわけですが、そこに「河」があってそれは変わらないという視点に欠けていたのです。水が流れるのは、そこに「河」があるからなのです。もちろん、自分の死に対する漠然とした不安や恐怖はなくなることがありません。とりわけ自分に残された時間がどれ程あるのかと考えると、生をあせる気持ちが私の中で膨らんで、却って身動きがとれなくなってしまい、悪循環を生み出すこともしばしばあります。しかし、厳然とした事実として「河」はここにあるのです。「現在」を生きる私の目の前に。目の前というよりも、むしろ私自身が「河」であり、「河」が私といった方がいいかもしれません。「河」と私との合一という観念をもつことで、個体の死は最終到達点ではなくなります。私の生は脈々とつながっていき、無数の「現在」を重ねていき、この宇宙船地球号の生命が続く限り、「私」は「河」として生き続けることになるのです。
森鴎外は『青年』の中で以下のように書いています。
─現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
そこで己は何をしている。
線とは観念的なもので、幅がありません。現在という幅のない「線上」で懸命に私たちは生きているのです。その線を捉えようとしたのが印象派の作品なのです。「一瞬」とか「刹那」よりも短い「今」を捉えようとしたわけです。ですから、その作品には過去も未来もありません。その線上で自分が見たり、感じたりしたものを表現しているのです。
かつて、生とは螺旋であり、循環的なものであると考えたこともありましたが、印象派の画家たちの描く「水」や「光」を見て、このようなことを考えたのでした。
また、時間があれば、もう一度観に行きたいと思っています。
個々の作品に関して述べると、「ルーアン大聖堂」がやはり私の中で最も印象に残り、またずっと眺めていたい作品でした。そして、様々な時間のルーアン大聖堂を描いた作品を観たいと思いました。

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
肉団子
味噌仕込み

待ちに待ったこの季節がやってきました。
そうです。味噌を仕込む季節です!
昨年は大豆と米麹で作るお味噌以外にも、黒豆味噌なるものを作りました。そして、一般にお味噌を作る場合よりもかなり柔らかい状態で仕込んでみました(早く食べたかったので)。
黒豆味噌は大豆味噌と比較して、香りがあまりなく、また真っ黒い味噌になるわけでもなく、少々期待ハズレでした。黒豆を茹でた時の茹で汁は甘味があってとても美味しかったのですが、それ以外にあまり感動はありませんでした。
また、柔らかい状態での仕込みは、少々カビが生えたものの、それ以外にとりわけ問題は発生せず、少々柔らかめのお味噌となり、豚肉や鶏肉の味噌漬けには本当にぴったりでした。
さてさて、今年は昨年の反省その他をふまえ、まずは大豆0.9kg、米麹1.0kg、塩0.44kgで仕込むことにしました。柔らかさはほぼ昨年と同じ位です。これで大体4kgほどできる予定です。大きなボウルやお鍋が我が家にないので、この量が仕込みの限界(少々限界を超えていた!?)でした。

黒豆味噌はもし、第二弾を仕込む気力と体力が残っていたら、大豆の半分の量で仕込んでみようかと思っています。
そして、何よりも楽しみにしていたのが、仕込み容器です。本末顛倒かもしれませんが、この容器のために味噌作りを今年も続行しようと決心がついたのです♪この鍋に湯をはって、直接火にかけて熱湯消毒ができるんです!何てすぐれものなのでしょう。そして、梅雨時に天地返しをしようと思っているのですが、その時にジッパー付きの袋に入れ替えて、この容器は梅干しを漬けるのに使おうかな~などと考えています。

この容器、スタックができるので、もう一つ買いたいなと思っているところです。そうしたら、もう4kgお味噌を仕込むことができるし…。
道具はお料理を楽しくしてくれます。ほうろう生活バンザイ!です。
チリコンカルネ

缶詰のチリコンカルネを買っていた人、とっても簡単ですから、自分で作っちゃいましょう♪
[材料]牛ひき肉(合挽でも可)200g程度、玉葱小1個、豆(キドニービーンズでも、ひよこ豆でも。今回は時間がなかったのでレンズ豆です)好きなだけ、チリペッパー大さじ2程度、塩、胡椒。
[手順]
1 玉葱をみじん切りにして炒め、透き通ってきたらひき肉を入れて、色が変わるまで炒める。
2 チリペッパーを入れて(私はかなりたっぷり入れます)、ひと炒めしたら、水(適宜)と洗ったレンズ豆を入れ、塩を適宜入れます。
3 レンズ豆が柔らかくなったら、さらに味を調えて出来上がり!
タコスはもちろん、タコライスも美味しいですよ。レタスを皿にしいて、御飯をおいて、その上にこのチリコンカルネをのせて、周りにアボカドとトマトを飾って、上から粉チーズをかけて美味しいタコライスを召し上がれ♪
* * *
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